自分で自分が作ったモノを評価するのは好かないが、それでも俺が今まで作ったどんなものよりも1度は見てもらわな大きく、歪で、熱くて深い。 まあそれを証明するにはどうしたってければ、、、。 パッケージを持っているだけじゃ意味は無く、それをDVDプレイヤーに入れてPLAYボタンを押さない限り俺が作ったその「モノ」は意味を成せない。 それがDVDという形態をとった作品の宿命だし、それが俺のメッセージ全てを相手方に植え付ける方法論でもあるDVD「overground broadcasting」の特徴なんだ。
俺が自分の地元を飛び越え、日本の各地をビデオとスケートで網羅したのは2000年の12月。 その時出した作品「43−26」から約7年間、次は必ず海外に行って同じように自分の足で「各地を制覇してやる」という意気込みで作り始めた。 毎月のようにアメリカから発信される本場のスケートビデオ達。 高品質なスケートビデオ達は、少なくとも当時の俺を刺激して、俺も同じスケートビデオを作る者として、いつかは自分の作品を日本だけでなく、海外にいる俺のビデオを知らない奴らにまで届かせるようにしたかった。 少しでもいいから、微力でもいいから、俺が昔受けたスケートビデオからの感動とやらを見てくれる奴らに少しでも与えることがしたかった。 日本から世界に、、、もっと言えば俺の地元東京は中野から世界へ送り込みたかった。 そしてそれには確実に日本以外のリアルなスケートボードのシーン、その大きさ、そしてその奥行き、拡がり、そして繋がりを自分の目で見てこなくてはいけなかった。 それから約7年そういったものを見に海外へと出向いていった。 そして確かにスケートの本場で実際色々と経験出来たことが今回のDVDでは本当に大きく影響している。 数々の現場で多くの外国のプロスケーターや、その地元のローカルスケーターらと撮影を重ねてきたことが何より自分のスケート観を広げるものでもあった。 日本にだけ居ては見えない部分も相当あった。
観光ビザで滞在できる期間を目一杯使って撮影してきたことはある意味旅行などというものからは程遠く、毎日が撮影、撮影、そして撮影。 その地元の住人となって、元々居る住人らのことを撮影した。 元々このスタイルで俺は日本中を飛び回った。 そしてそれが単に今回はステージが外国になっただけ。 そう思えば大したことではなかったが、それでも実際「言葉」という自分の繊細な気持ちまでをも相手に伝えうるコミュニケーション方法を奪われた俺は、当初相当苦労もした。 小さなプライドが邪魔をして素直に撮影を進めることが出来ないときもあった。 俺のくだらなくショボいプライドのせいで、この壮大なビデオプロジェクトの完成を諦めそうになったこともあった。 それら全ての原因はコミュニケーションによるものがほとんどだった。 俺の気持ちを伝えられないもどかしさ。 言葉が分からないということへの劣等感。 度重なるミスコミュニケーションが原因で俺自身が屈折しさらなる悪い状況をもたらす。 3ヶ月という短そうで長い、長そうで短い滞在期間で俺は多くのことを考え、実行し、そして時に挫折した。 その度にいつも俺を踏みとどまらせて俺を支えてきたもの。 それは俺が「日本人」という誇りだった。 俺という小さな人間が海外に居て一目瞭然で表せる唯一のもの。 それが「日本人」ということ。
名前なんかより「あのジャパニーズフィルマー」という認識で多くの海外で会ったその土地その土地の住人達は俺のことをそう認識していたであろう。 そんな看板を背負った俺がフィルマーとしてスタコラとビビって逃げるわけにはいかなかったんだな。 正面斬って突っ込まずして映像は撮れない。 それにはまず1つ、小さ過ぎて、ショボ過ぎる自分のプライドを捨てる以外にはなかった。 言語能力が幼稚園児レベルなら幼稚園児レベルのコミュニケーションを思い出して身振り手振りで意思の疎通を試してみた。 高度なコミュニケーションが無理ならば、それを受け入れ、他の方法でコミュニケーションを試みる。 しかし気付けば俺には俺の意思を伝えることが出来るその方法が2つもあった。 それがビデオカメラとスケートボード、すなわち俺のFESNが掲げてきた最大の要素。
俺自身の気持ちや性格を言葉以外で1番表現できるもの。 言葉を失っている状況では俺のスケートがより繊細な俺の性格を表し、より強気な性格をビデオカメラが表した。 ライダーを撮影する上で他のフィルマーの奴らに腕で負けるわけにはいかないし、撮りたくないものを撮らずにいられるよう俺なりの表現でその意思をライダーに伝える努力。 何人かのフィルマーと一緒に動く状況ならば、自分のエゴを最小限にして、自分の立ち位置から出来る限りのことをする。 そうやって1回1回の撮影で気を抜かずしてライダーとの信頼関係を深めていくんだ。 俺が今までやってきたこと全てを試す為にも海外での撮影は緊張と勝負気質がひしめく新鮮な時間へと変化していった。 そしてそうやって俺は海外でやってきた。
少なくとも英語がほとんど理解できない俺(ホントは「少しは」理解できるが!)にとってはそこのコミュニケーションが俺の支えであり、俺の捌け口でもあった。 一生懸命その土地の言葉を勉強し、その土地に馴染む努力は、その土地にやって来た人間としての敬意の現れだ。 世界共通語が何であろうと関係ない。 上手く話せなかろうが関係ない。 要はその努力をしているかどうかが重要だ。 しかし俺には運良くスケートボードとビデオカメラがあった。 俺の言葉を補う手段が他にもあったわけだ。 今、海外でこのウェブサイトをチェックしている諸君、俺そしてFESNはあなた方の土地へと足を伸ばしたとき、必ずあなた方の住んでいるその土地の言葉、食事、文化、習慣それら全てを俺の住んでいる土地との違いとしてまずは受け入れ、そして自分の中へと叩き込む。 そして行く以上は精一杯そこへ馴染む努力をする。 そうして俺は1から世界に対する考えを強化していく。 俺が作り上げた世界観である1つのDVD「overground broadcasting」はそういった中で完成させていった。 そしてその海外で経験し俺が作り上げていった前向きなメッセージは全てチャプター23の「new world order」というパートに注ぎ込んだ。
だけども残念ながらあの話には続きがある。 出来ることなら目を背けていたいような話の続きが。 それが冒頭に書いた「また新たな作品への準備」ということ。
今回の「overground broadcasting」というDVDで日本以外の国々での我がFESNの発言力がどこまで伸びるかは分からないが、確実に伸ばそうという意志がこちらにはある。 たかがスケボーだが、そこに異常なまでの執着を持った俺がここに居る。 待ってろよ、お前ら。 ここからが本番だ。 言いたいことは山ほどある。 やりたいことも山ほどある。 不器用ながらも確実にこなしていく。 楽しみながらも牙は研ぐ。 たかがスケボーだが、そこだけにはとどまらねえ。 裏を知って表を描き、裏を知って裏を描く。 ここから時間をゼロに戻す。 人生は有限だが、やれることは無限にある。 ここから「日本人」としてやらなくてはいけないこと。 それを俺は、そしてFESNはやろうとしている。
これからの世界が平和である為に必要なものが、武器弾薬だけじゃ到底解決方法にはならない。 それを使う側の人間のモラルと、良識の向上。 そして人間の根底にある差別、偏見を撤廃することだ。 すなわち全世界規模での初等から高等教育に対する新たな道徳的協力体制を建設することだ。 各国が自国に有利な歴史をそれぞれ作っていてはここから先、未来は暗黒だ。 それより1度時間をあのときに戻さなくては、、、 世界が一変したあの時に。 何かが狂ってる。 何かが違っている。 何かが的を外させている。 目を背けさせようたってそうはいかねえ。
上記した 「新たな作品への準備」にはもう少し時間が掛かります。 出来る限り効果的に発表します。 それよりとりあえずは皆様、先日発表した新作DVD「overground broadcasting」を見てください。 そしてゆっくりと楽しんでください。 少なくとも俺が制作に掛かった時間くらいは楽しめると思います。 それと7月5日にはDVD「overground broadcasting」の2枚組サウンドトラックCDアルバムが発表されます。 CDだけの特典も入っています。 映像を見ないで映像を感じることの出来るアルバムになったと自負しています。 豪華ブックレット仕様のパッケージングになっております。 まずは音楽に浸って、映像に浸って有意義な時間をお過ごしくださいませ。 とにかくサウンドトラックアルバムお楽しみに。 車の中でも部屋でもクラブでもそれぞれ楽しんでください。
それではまた来月。 今後ともお楽しみに。
08.6.26 FESN代表 森田貴宏
「今日6月26日拉致被害者家族の皆様、希望は捨ててくれるな。 いつまでも黙ってる奴らばかりじゃない。 時間は掛かろうとも、何世代単位であろうとも確実に受け継がせていくだけのものをこの国は持っている。 次の世界に必要なものを、、、」
FESN代表
森田貴宏
08.4.5
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