FESNの集大作ともいえる今作『Overground Broadcasting』は、どういった流れで制作
をスタートさせる事になったんですか?
95年からビデオを作り始めて、当初はまず日本全国を網羅するビデオを考えていた。
その後『東西南北』を作り終わった辺りから世界にいきたいと言う気持ちが漠然と見
えて、'00年に『43-26』の試写会をやった時にはもう決めていたと思う。次は世界
だ!って感じで。その翌年2001年の8月23日に初めてデッキとカメラを持ってNYへ行っ
たのが始まり。知らなかった世界を俺が見たかったというのが純粋な衝動だった。
ビデオ制作を初めた時は日本各地で開かれるコンテストで知り合う各地方の仲間と
自分の周りにいるアマチュアのスケーターを自分のビデオで露出させたいという気持
ちがあった。メディアもある1部分のライダーしかフォーカスをあてられない時期だっ
たし。だけど初めて俺が作ったビデオでは実際には自分の足で、大阪や九州といった
地方都市には行くことは出来なかった。金も当時は全く無かったし。だけど最初の作
品を作って少なからずとも利益が俺の懐に入ってきた以上は、その出来なかったこと
を全て自分でやってやろうという気持ちが芽生えた。そして実際次の作品からは全て
自分の足で現地へと行くようになったよ。実際その土地へ行ってみて見えてきたもの
が沢山あったから、海外にも同じように自分の足で行こうってね。自分の目で見たも
のを自分で消化するビデオにしようと思ってね。
実際に自分の足で撮影に行く事の大切さは何でしょうか?
それはもう全く違う。現地に行ってない奴がその土地を表現する事と、現地に行っ
た奴が、その目で、自分のファインダーで捉えてきた事を表現するっていうのは絶対
に違う。地元のスケーター達がどんなヤツらなのかを知る事はそのローカルスケート
シーンを表現する上で必要不可欠な事だよ。特に俺のスケートビデオにおいてはね。
世界を回ってみてどうでしたか?
やっぱり想像とは全然違ったね。1発目俺がNYへ行った時、着いて3週間もしないで
あの9.11が起こった。他にも滞在していたブルックリンの宿に帰る途中、地元のガキ
どもに囲まれたり、LAでは目の前で日系人のギャングっぽい輩が白人相手に武器出し
たり。海外での生活は身の危険を感じる事も多くあったし、俺の知っている常識と何
もかもが違うとも感じたよ。
様々な事を体験した事で、当初の構想から完成した内容に至までにどのような変化が
ありましたか?
すげぇ変わった。1番初めに俺が表現したかった事はすげぇ漠然としていたね。スケー
トのビデオを作り始めて、俺はもう13年が経つけど、その制作工程は即興映画という
手法に近い。カメラを持って外に出た時点で、こういうものを撮らなきゃっていう脚
本があるわけでもない。今のスケートビデオの主流は、各ライダーのパートがあって、
フレンズ等のパートがあって、その間にライダーのイメージを入れていくって感じで
しょ。だけど、俺の場合のスケートビデオは、撮りながら構成や脚本が変化していく
ようにしていきたいんだ。そのビデオを作るまでの間に自分自身がどこまで成長でき
るかって事を物差しに、どれだけのものを表現する事ができるかって具合にね。実際
撮影場所もNY、LA、SF、フィラデルフィアは絶対に行きたかったってくらいでね。本
当に当初はそのくらいにしか考えてなかった。
やはり、まずは行動してみようって事で。
そうだね。とりあえず行ってみないとって思ったね。後は本当に自分次第だとも思っ
てたし。
Overground Broadcastingとはどんな事を表現したタイトルでしょうか?
今回のビデオタイトルは決めるのに実際5年ぐらい掛かった。俺が付けるタイトル名
は、その作品に対する全ての意味を込めるから、安易な形で決めたくない。2006年に
出した『Underground Broadcasting』と今回の「Overground Broadcasting」の2作品
は、国内をUnderground、世界をOvergroundって具合で意味付けた。日本は"地下"、世
界を取り巻くものを"地上"って意味にした。それらをビデオカメラを使って現地の空
気を伝えるブロードキャスティング(報道)するという意味で。「Overground
Broadcasting」は地上放送。「Underground Broadcasting」は地下放送。そし
てOvergroundは世界へ向けて流通させる事が1つの目的で、日本国内の映像を海外に出
すことを1番に考えていた。でも同時に、それを目標にするには国内だけで撮っていて
もダメだとも思った。特にアメリカ人は自分達が常にトップだと思っているから、自
分達の興味のあるものしか手に取らない。すなわち日本のスケーターに興味がないっ
て事。正直本当にそうだと思う。俺はアメリカでいろんな奴に自分のビデオ、日本人
だけのビデオを見せてきたけど、俺と友達じゃなければ見る気なんかないよ。今、ア
メリカのキッズ達が見たいビデオは技術のみ。凄いか凄くないかっていう。だとした
ら今の日本のスケートビデオは何1つ海外のレベルを凌駕していない。だけど俺は、日
本人である俺達の映像を本当に外へ出したかったから、海外の現場を深く知る必要が
あった。だから俺はそこまで撮りに行ったんだ。
海外のスケーター達に見せるって部分でこだわった点は?
見てもらったらすぐにわかってもらえると思うけど、言葉で表すなら「誰もやって
いないスケートの映像表現」とFESN独自のスケート観。海外の猿真似でない日本独自
のスケートと、その面白さを映像で表現する上で本当にやらなきゃいけなかった事を、
俺が7年かけて探して、その表現ができるまで鍛えまくったって事。例えば技術的な面
において、トリックを撮影する上でのアングルっていうのは、そこに空間が存在して
いる以上、天文学的数のアングルが存在するわけ。その存在するアングルの中の上位、
3つぐらいのアングルを俺は何としても見つけるべきだって考えた。答えはないけどそ
の実験は繰り返すべきだって。もちろん全部のカットがそうやって撮影している訳じゃ
ない。特に海外ではそこまで俺に付き合ってくれるライダーは少なかったしね。ただ
自分達の周り、特に日本人のライダー達に関しては、そういう事を繰り返し試してト
リックの表現にもこだわった。あとはスケートボードの他の要素。例えばデッキテー
プを貼る、ワックスを縁石に塗る行為だって、一般の人達から見たらすごく面白い行
為だと思うんだ。そういったスケートボードに関する面白さを全部探したつもりだね。
作品の全体的な作りはどういった感じになっているんですか?
パートを持っているライダーは、デニス・ブセニッツ、サイラス・バクスターニー
ル、ドラボン(宮城豪)、ダニー・ウェインライト、マーク・ゴンザレス、クイム・カ
ルドナ、パウロ・ディアス。大小あるけど個人のパートを持っているのはその7人だね。
これはすごい運だった。絶対にこの人のパートを作ろうっていうのはなくて、運良く
この人達と繋がれて、何かの縁でパートを作る事ができた。最初からこの人だけは撮
りたいって思っていたのはリッキー・オヨラで、オヨラはフィラデルフィアのパート
のメインになってる。後はボストン、SF、LA、ニューヨーク、ロンドン、コペンハー
ゲン、リヴァプール、シェフィールド、ダニーのパートでブリストル、あと東京の昼
と夜のパート、大阪の若手のスケーター達と三角公園のパートっていう構成になって
る。
作品の流れは?
今回の作品は1時間半の内容なんだ。1時間半のスケートビデオって、普通のスケー
ターからしたら「そんな長いの見たくねーよ」って思うかもね。それでも今回1時間半
にしたっていうのは、俺のスケートビデオに対する挑戦だね。今のスケートビデオっ
て30分〜40分ってフォーマットができ上がっている。だけど俺が育ってきたオーディ
オビジュアルってものに関すると、音で言えば1曲20分、30分は当たり前、それがクラ
ブなら5時間6時間も当たり前の世界。映画だって2時間以上は当たり前だよ。俺が初め
て観たスケートビデオだって1時間以上あった。だけど未だに楽しく見ることがあるよ。
何年も付き合える映像や音楽という意味では"当たり前の長さ"だって思ってた。スケー
トの楽しさを理解してもらうような、一生見続けるようなビデオ、一生付き合って欲
しいというビデオにはある程度の尺が必要だと思ってる。そして出来れば俺のビデオ
は1対1で見て欲しい。もちろん友達と大勢で見てもらっても構わない。けど、「ちょっ
とこのDVD、家で誰も邪魔の居ない所でじっくり観たいな」ってさらに一歩先に深く踏
み込ませるきっかけになれば良いと思って作ってるから。
森田さんって日本で初めて劇場でスケートビデオの試写会をやったと思うんですが、
それはやはり映像に入り込んで欲しいっていう考えからですか?
もちろん!クラブで立って見るのではダメだ。ストレスの無いなるべく落ち着いた状
態で見て欲しい。それが1番見ている奴の心に入りやすい状況なんだ。俺はね、自分が
今まで経験してきた事の中で、映画や音楽からのインスピレーションがすごく役立っ
ているんだよ。今の自分の人格を形成する上においてね。だから自分が作っている作
品も、俺と同じように観ている人がいるって事を前提に作っている。もちろん流れて
いくものだから、適当に流して見る奴がいるのも分かる。それぞれ感受性の違いがあ
るのも分かる。だけど泣け無しのお金を叩いて買ってくれ、俺のビデオに少しでも期
待してくれている奴が1人でもいる以上、作り手は本気で、そして真剣に気持ちを込め
なきゃダメなんだ。作り手はそのDVDの中で永久に魂を燃やしていかないとね。今分か
らずともいつか分かってくれるんじゃないかっていう気持ちを作品に込めて。買って
くれる人からお金をとるっていう時点で中途半端な事はやらない。俺は徹底的に考え
る。俺のスケート人生で得た全てを映像の中で徹底的に表現したい。そしてその挑戦
をしたいんだよ。
印象的なライダーとしてどんなメンツが出演しているんですか?
ジャマール・ウィリアムス、ロビー・ガンジェミ、LAだと元Menaceのビリー・バル
デスとか、NYではかなりディープなところまで入り込んだから、昔Chapmanにいたビリー
・ローハンとか、昔のイースト・コーストのビデオに出ていたアンドレ・ページ、あ
とSupremeのアキラ。SFでいったらカーマ・トシェフ。マット・ロドリゲスは彼の地元
サクラメントまで行って撮った。他にもジョン・イゲイ、元々ブルックリンのスティー
ブン・ケールス、スティーヴ・ウィリアムス、マーカス(マクブライド)でしょ。あと、
今は亡きペペ・マルチネス。日本に来たアメリカやヨーロッパのスケーター達もだね。
トム・ペニーやマーク・アップルヤード、Flipのライダーも撮ったし、レオ・ロメロ
やイーザン・ファウラーというRvcaライダー達、Four Starのツアーもある程度一緒に
廻った。他にもクリント・ピーターソン、ジェイソン・リー、クリス・パストラス、
オリー・トッドなんかのStereoチーム…… もう覚え切れないね。ただ言える事は、俺が
興味を持ったメンツが出てる。
ライダーとのやりとりで思い入れの強い出来事は? どんな事がありました?
やっぱりサイラスとクイムは特に思い入れがあるね。先にも言ったけど2001年8
月23日からニューヨークへ行ったのだけど、当初は自分がスケーターとしてどうこう
しようって気持ちは、あんまり無かった。正直自分のスケートに対して諦めを感じて
たっていうか、当時はスケートボード自体をよく解ってなかったのかもしれない。
2001年当時、俺がアメリカへ行った時は、もう時代はビッグトリック全盛期。その流
れを直で感じた時に、今後スケートをやっていけるとは思わなかった。当時は自分の
パートを作るなんて事も思ってなかったし、まさか昨年自分がビデオパート・オブ・
ザ・イヤーを獲るなんて想像もしてなかった。だけどそういう状態からもう1度スケー
トを楽しもうっていうキッカケになったのはクイム・カルドナとの出会いが大きかっ
た。俺がクイムを撮る目的でニュージャージーまで来ているのに、クイムの方が「森
田もやってよ。俺が撮ってあげるから」ってビデオカメラを向けてきた。クイムと一
緒にビデオを撮ったり撮られたりっていう遊びを自然にしていた。クイムの家に何日
か泊まっていた時、クイムが遊びで編集したビデオを見せてもらったことは凄く良い
きっかけになった。別に特別すごい事をやっていた訳じゃないんだけど凄い楽しそう
でさ「そういうのも良いな」って感じた。すごい滑りじゃないと撮っちゃいけない訳
じゃないし、自分の滑りを撮っちゃいけない訳でもない。そういう事をクイムに気付
かされたね。クイムとの出会いは本当に大きかった。1ヶ月もNYにいて最初の頃は全然
ビデオが撮れなくって、外国人に対しても言葉の壁を感じていた時に、半ば諦めかけ
てた事もあったんだ。9.11のテロも起こって「このままスケートやっていて良いのだ
ろうか?」とまで考えた。そんな時にクイムと出会ったんだ。クイムは人種や言葉の違
いなんて気にしない。そんな事はどうでもいいっていうか、不思議なヤツなんだ。英
語を大して話せない俺にも普通に接してくれる。当たり前のような事だと思うけど、
実際にできる人は少ないと思う。
サイラス・バクスターニールとの出会いは?
サイラスはたまたま俺の中学の時の後輩が「森田くん、僕の友達でスケボーがメチャ
クチャ上手い人がいるんだけど」って紹介された。確か2005年頃で、ヤツがま
だHabitatのフロウ・ライダーで無名だった頃だね。日本に彼女がいるからよく来てた
んだよ。
サイラスとの印象的なエピソードは?
アイツはすごいガッツだね。それとスケートクレイジー。ビデオだからすごい事を
やるって事もないし、単にやりたいからやってるだけ。それでたまたま俺がいるから
撮れちゃうってだけ。俺の事務所にも遊びに来てたし、俺のやっているパーティーに
も彼女と遊びに来たり、俺の彼女とヤツの彼女でご飯食べに行ったり。本当に普通の
友達。サイラスは今アメリカでトップのスケーターの1人だと思うけど、あのガッツと
謙虚さと、向上心は見習うべきだと思う。俺の作ったサイラスのパートを日本のスケー
ター達はよく見てくれって感じだね。スケートで稼いでいるやつらは特にね。俺のビ
デオでのサイラスの映像は奴自身がまだ金もらってない時、プロになる前のもの。日
本滞在での短期間で撮影したって事も肝に銘じて見なさい。これが世界の「アマチュ
ア」レベルだから。
じゃあ、次は森田さんが1番撮りたかったと言ってたリッキー・オヨラとの撮影エピソー
ドを聞かせて?
オヨラのいるフィリーには全部で4回ぐらい足を運んだね。初めの2回ぐらいはオヨ
ラに会えなかった。で、その後オヨラに手紙出して、メールで連絡し合う仲になった。
その次にフィリーに行った時、運良くオヨラが俺の事を受け入れてくれた。オヨラの
家に2週間ぐらい泊まってたんだけど、スケートに行こうってなった時に、俺がバカで
かいバッグにカメラ2台入れて、ライト用のバッテリーパックを3個、3脚2本に… 重さ
で言ったら20kg近くあるバックパックを背負って行こうとしたら、「森田、それ持っ
てくのか? それでスケートできるのか?」って聞くんだよ。でも「俺はスケートジャー
ナリストだから撮んなくちゃダメだ」って言ったらさ「OK、分かった。でもそのバッ
グはない方が良いよね」って、すげー残念そうな顔をしてて。それがすごい印象的だっ
たね。でもスピードを和らげてくれる事はなかったよ(笑)。当時のオヨラの家からラ
ヴパークまで5kmぐらいあったかな。そこまでプッシュで行くんだけど、途中でフィリー
のスケーター達が合流してくるんだよね。俺は「ヤベぇ」って思って途中からビデオ
カメラを出したんだ。出している間も、オヨラは待ってくれないから200mぐらい差を
つけられるでしょ。俺はVX2000を持ってバックパックを背中に背負ってフルプッシュ
で死にものぐるいで追いかけたよ。オヨラとの撮影は全てが死にものぐるいだった。
ストリートって全てが待ったなしだからね。あの人のスタイルはビデオの通り。家を
出てプッシュした瞬間から始まっている。
じゃあ何人かでストリートを流している映像もあるんですね。
そう。その後オヨラの家に帰って、「今日撮ったやつ」って映像を見せたら「オッ、
森田こんなの撮ってたんだ! お前カメラ出してたのか」って言って嬉しそうだったね。
オヨラもそういうリアルな部分を撮ってもらいたかったんだと思う。彼は生き方自体
が本当のストリート・スケーターだった。バムやスティーヴィーのような、フィリー
にはスケートでビッグマネーを収めたヤツらが何人も出てるけど、オヨラは至って質
素な生活をして自分の生き方を貫いていた。今の俺を形成する上でオヨラとのそういっ
た経験は大きかった。あの人は本当に尊敬してる。改めてスケートボードは単なる職
業とかではない、そんなレベルのものではないんだってことを教えられた。本当に凄
い人だった。哲学者のようなね。
ゴンスとのエピソードも聞きたいですね。
ゴンズと出会ったのは4回目に行ったNYだったかな。確か2004年。その日はたまたま
ユニオンスクエアで滑ってたんだ。そうしたらアップタウンの方からプッシュしてく
るオッさんがいて、「パチーン!」って音がしたんだ。当時ファイヤークラッカーって
段差にテールを当てて音を鳴らすトリックをゴンズがやってるっていう話を聞いてた
から「まさか、あのオッさん…」って思ったんだ。キューバ産のシガーを"ブカー"とや
りながらプッシュしてきたんだよ。もうすぐに俺の方から「ゴンズ!レッツスケート!」
みたいな感じで話しかけたら、ホント気さくに「OK!」って言ってくれて。で、俺日本
でもKrookedのツアーの時に会った事があったから「俺日本で会った事あるんだけど覚
えてる?」って言ったら「覚えてるよ」って言うんだよ。でも絶対に覚えてないんだよ、
間違いなく覚えていないはずなの、あの表情は(笑)。で、ゴンズに「ビデオ撮っても
良い?」って聞いたら「もちろん良いよ」って言ってくれて、そこからたかだか2時間
くらい一緒に滑っただけだった。だけどそこからゴンズのパートが完成したんだ。本
当にあの人のスケートはアートだった。だからそのパートは俺がその時、ゴンズと会っ
た印象をそのまま表現しようと考えた。本当に個性溢れる人だけど、あの人の奇行は
実は全部が全部、計算してやってるようにも思えた。天才、天才って周りから言われ
てるけど、あの人は天才なんかじゃなく、凄い努力と繊細なメンタルを兼ね備えた人
だと感じた。繊細な分、人の気持ちがいろいろと解る人。どういう事を言えばみんな
が笑うかって、すごく繊細に解る人だと思う。だからあの時ユニオンスクエアにいた
誰もが、みんな楽しめたんだと思う。本当にすごい人だよ。なんて豊かな人なんだっ
てね。
次は日本人唯一のメインパートを持つ宮城豪。彼がパートを持つ事になったキッカケ
は何だったんですか?
俺がパートを作る上で1番大切な事は、そのスケーターがどこまで俺に食い付いてく
るかなんだ。俺がアクションを起こした事に対して、スケーターがリアクションとし
てスケートで返す。ドラボンは今回のOvergroundを作る上で、ただ1人そこに食い付い
てきた。世界に向けた映像を作ろうとしてるって事に誰よりも早く感づいてたよ。実
際『43-26』でもあいつのセクションが1番盛り上がってたし、オヨラや他の海外のス
ケーター達にもビデオを見せた結果、みんな揃って口にするのは「ゴウ・ミヤギ」と
いう反応だよ。
彼の魅力、パートの見所はどんなところですか?
宮城豪って人間を俺がどこまで引き延ばし、表現出来るかって事に徹した。俺
のFESNはビデオパートを作る上でスケーターに全てを任さない。トリックチョイスや
スポットチョイスにしてもスケーターの想像力だけじゃなく、俺の経験と俺の想像力
を掛け算する。だからスケーターとフィルマーという双方のコミュニケーションが重
要になってくる。だから今回のドラボンのパートは今まで作ったどんなパートよりも
間違いなく凄いものになってるよ。ただ、開けちゃいけないパンドラの箱があるとし
たら、すでに開けちゃってるのかもしれないね。既存のスケーター達の価値観をぶっ
壊しちゃってるかもしれない。宮城豪を表現する為、FESNを表現する為に、壊さなきゃ
いけないものは壊したつもり。想像つかないかもしれないけど、全てが世界初だよ。
"世界初"に重点を置いたパートだね。
スポットの提案は森田さんがしているんですか?
もちろん、俺達はスポットを常にリサーチしてるからね。ただドラボンのフルパー
トなんだから、俺達だけが苦労するわけにはいかないよ。ライダーにもそれは求める
よ。ライダーが苦労をすれば俺らだってするし、それは鏡。だけども時にドラボンの
執着心は俺らの概念を上回る程だった。良いビデオ制作にはライダーのレベルとフィ
ルマー側の撮影レベルっていう、お互いの技術を常に擦り合わせることが1番重要。そ
ういう場で俺が目指すレベルとドラボンが目指すレベルっていうのが合致して初めて
良いものになる。俺の提案することは時折ドラボンを凌駕するし、逆に俺がそのぐら
いで良いんじゃないかって思っててもドラボンはさらに上を狙ってる。そうなって初
めてこっちもアゲられる。「お前、そこまで狙ってやがったか!」ってね(笑)。正直こ
れまで日本のプロ達にはずっと落胆させられてきた。「ここのレベルをやらなかった
ら世界では絶対に認められないのに」って残念な思いがずっと俺の中にはあった。ほ
とんどのヤツらが世界でトップの意識を日本人がスケートで表せるなんて思ってなかっ
たんだろうな。今のスケートの流れはストリートで、それを表現するのにビデオは有
効な手段。そのビデオという表現で世界へ行くってなったらある程度のレベルを作り
手とライダーが同時に越える必要があるんだよ。そこをずっと考えていた俺からして
みればそこは絶対に甘えられない。だからライダーにそのレベルを求めるんだ。だけ
どみんな全然分かってない。日本で凄いと言われても、世界に行けばその程度の奴は
ゴロゴロいる。たかだかその場にいる奴らに「スゲー!」って言われて満足してる場合
じゃないんだよ、世界のスケートは。だから本当に俺は世界のヤツらをビデオで相手
にして、世界トップのライダーの意識の高さを知ることが必要だった。世界にはエリッ
クコストンもいれば、ジェイミートーマスだっている。そんな猛者が軒を連ねてるじゃ
ん。その志のレベルがドラボンは世界レベル。世界を狙うって口だけで言うのと、本
当に行動で示すのは全く違う。
ドラボンのパート楽しみですね〜。
本当にそう思っていて欲しい。ドラボンみたいなヤツは世界にもいないし、俺が
『43-26』を海外に持ってって何人から「ゴウ・ミヤギの滑りを見たい」って聞いたこ
とか。
SFのセクションではフォトグラファーのケン・ゴトウの協力が不可欠だったと聞きま
したが?
SFは撮影する上で難しい部分が沢山あったんだよね。俺が初めて行った頃には、す
でにケンの周りには、ヘンリー・サンチェスとかカール・ワトソンとか重鎮達がいっ
ぱいいた。そういったヤツらと対等に接している事に、正直すげぇって思った。それ
とSFって本当にレベルが高い、ある意味メインストリームな場所だしね。俺が居た時
は普通にデーウォン・ソンやジョッシュ・キャリスがいて、世界の重鎮だけの日だっ
てあった。そんな奴らの周りには常にフィルマーやフォトグラファーが付いてるし。
俺的にはなかなか突っ込み辛い土地でもあった。ライダーが大物過ぎちゃってね。だ
けどケンはアメリカ人よりアメリカ人って感じでね。ふてぶてしさなんかアメリカ人
以上(笑)。SFのパートはケンが7割ぐらい撮ってるんだよ。デニス(ブセニッツ)のパー
トに関しては9割以上撮っている。 ケンの性格がモロに出た感じの映像でね。デニス
のスピードにカメラが追いついていけなかったりと、ケンは映像が本職じゃない分凄
くリアルなアングルで撮る事が出来たと思う。だけど1番凄いのは「よくぞそこまで入
り込めるな」って事だね。ヘンリーやスティーヴィー、ロブ・ウェルシュもいて、SF
のオールスター達が入ってるビデオだから、俺じゃそこまでフィルマーとして短期間
では入り込めなかったと思う。
日本は6都市、東京、名古屋、大阪、神戸、福岡、沖縄と廻って、注目するスケーター
は?
大阪の上野伸平、細田大起、高沢祐介、東京の玉野辰磨、大本"デシ"芳大が良い。
それと俺の地元の仲間。藤本明、中平健児、相磯雅一、工藤雄三、吉田良晴、中島卓
也、大森庸平、浜口和弘、ソンシ。それともちろん中村晋久ね。全員に共通するもの
と言ったら"向上心"。常に昨日の自分より今日の自分の方が良くあるべきだと考えて
いるヤツらでないと。だけど以上のメンツは人間としても楽しいね。
作品全体の作りで最もこだわった部分は?
こだわった部分をここで言ったらキリないけど、俺がブロードキャスティングして
きた事には何かメッセージがある。さっきも言ったけど、俺は2001年8月23日にNYに初
めて行って、テロがあって。そこから撮影をこなして切磋琢磨しながら何とかローカ
ルスケーターと繋がりを作ろうと頑張った。実は今回のビデオを作るにあたって1つ絶
対的なルールを作った。それは日本にいる時のコネクションを海外では使わないとい
う事。例えば日本の代理店に「ZooYorkのライダーを撮りたいから紹介してくれ」って
言う事を言わないで行こうと決めた。自然に任せようと。なぜなら俺がFESNを始めた
時はそんなコネクションは無く始めたから。だからこそリアルなものが撮れたと思っ
てるし、スケーター独特の信頼関係ができ上がっていって良いものが作れたとも考え
てる。 そして何のコネも無いところで冷静かつ、公平なポジショニングから見えてく
る土地っていうものをリアルに撮ろうと思った。 実際に体験しないと解らない事も沢
山あるしね。百聞は一見にしかず。Overgroundを制作する上でいろんな土地を廻って
きて、オヨラやクイム、ゴンズからいろんな事を学んだし、イギリスではみんな国産
のデッキに乗っている現状も見てきた。コペンハーゲンではアメリカとは全然違う欧
米人のアジア人への接し方を体験したり。そのいろんなものを見て自分の地元に帰っ
てきた時、今度は自分が見てきたものを俺の周りに返す番だって思ったんだ。
Overgroundの最後の落としどころは、俺の周りなんだ。俺の仲間であり、俺の土地な
んだ。「アメリカはこうなってんだ、その程度の事をやってちゃヤバイ」って俺も自
分自身のスケートにバカみたいに熱くなっていった。だけどそういうことを気づくきっ
かけになっていったのは実は周りの仲間からの影響が大きいんだ。本当に良い仲間が
いなきゃ出来ない事なんだよ。そこに気付いて、「スケートとは一体何なんだろう」っ
てところに俺は正面から向き合った。
この作品を通して伝えたい事は?
海外のスケーターで「スポットを紹介してくれ」って代理店を通して俺のところに
来るヤツが沢山いたけど、そういうヤツらが俺に対してどの程度リスペクトを払った
か、どの程度人間として接してきたか。全員が全員じゃないけど、中には人として最
低な奴らも沢山いた。言葉がわからないっていうだけでクソみたいな態度をとる事は
俺は人間として許さない。これまでそういう態度を沢山されたよ。スケートが上手いっ
てだけでスター気取りのヤツらに。俺からしたらスケボーだけ上手いヤツなんて大し
た事はない。それだったら一緒に旨いもんでも食べて、楽しい話しでもしながら共感
できる友達の方がよっぽど好きだ。俺自身がもし自分の国よりスケート途上国へ行く
ことがあったとしても、その地元のスケーター達に対してリスペクトを払えない人間
には絶対になりたくない。俺のビデオはただスケートが上手いとか、凄いとかでなく、
ライダーの自慢話でもない。スター気取りのバカがいないスケートの話にしたい。違
う国の人や違う常識や文化を持った人達と少しでも認め合うことが出来るきっかけに
なるビデオにしたい。俺は今のアメリカが中心となっているビジネス優先型のスケー
トの流れを良しとしていない。そこを真似したいなんて思ってもいない。世界のスケー
トは近年どんどんおかしなものになってきてる。スター気取りのバカがツアー先でそ
の地元の文化や歴史を無視してイキガってる。地元のスケーターにリスペクトを払わ
ないでスポットのみに興味を持つ。本来の姿であったはずの仲間との楽しみ、仲間と
の理解、互いに喜び合ったり、称え合ったりするスケートがどんどん無くなりつつあ
るとも感じているんだ。そしてそのことは俺がスケートを20年続けることによって得
た「俺にとってのスケートとは?」っていう答えでもある。お互い解り合うためにスケー
トして「普段は大人しいのに、スケートすると実はこんな一面があったんだ!」という
人間の奥行きが見えるのがスケートの面白さだよ。スケートを一緒にする事で、その
人間の内面を知り、さらに仲良く、深く友情を結びつかせるようなね。隣りのヤツを
認めること、尊敬すること、互いにそうすることで、人として成長を促すもの。俺に
とってのスケートとはそういうものなんだ。だから「あいつよりも俺の方が上手い」
とか「俺が1番だ!」とかっていう子供地味た表面的なものを俺はスケートに求めてい
ない。他のスケーターとの勝敗、そして優劣は俺にはもう必要が無く、争い事は自分
の心の奥底で常に自分自身と繰り広げられることなんだ。それ以上に俺の思うスケー
トはもっと人間的で、暖かく、豊かなものなんだ。さらに言えば、俺たちが住むこの
世界は混沌としていて未だ1つになることは出来ないけど、俺らスケーターが、全力で
スケートを仲間と楽しんでいる時にだけ、そんな悲惨な世界にも希望が降り注ぐとも
思っている。それはどう云う事かと言うと、スケーターはスケーター同士「分かり合
えることがある」ってことなんだ。国と国とは分かり合えなくとも、思想と思想は今
は合い交わらなくとも、スケーターがスケーターとして全力で楽しんでいる間だけは
分かり合う事が出来るってことなんだ。だから俺は一生懸命にスケートし、一生懸命
そのメッセージを俺が作るスケートのビデオに託そうと思うんだ。今回のOverground
を発表して以降の俺は、地元のスケートの発展と交流に力を注ぎたい。自分の地元を
育てることに専念したい。そしてそこで自分も含めて、俺を仲間とする皆で成長して
いきたいんだ。そのためのスケートだという事に行き着いた。皆が心にゆとりを持ち、
皆が同じぐらい仲間の事を考える。スケートによって俺が学べた事の中にはそういっ
た人としての尊厳が山のようにある。自分が怪我することで人の痛みを知り、次に誰
かがケガしたら助けてあげること。そういう人として当たり前の事をスケートから学
び、俺はそう気付けた事に感謝する。そしてそれがスケーターであることを俺が誇り
にしている所以と、俺のOverground Broadcastingに込めたメッセージだ。
映像を通してそのメッセージが伝わったら良いですよね。
そうだね、今回の作品でみんなに上手く伝わるかどうかは解らないけど、俺はやれ
るだけのことはやった。あとはそれを上手く見せるだけだね。
最後に。森田さんは今後日本でどんな動きをしていきたいですか?
自分の地元で腰を据えて、結婚して、子供作って。ただひたすら自分の興味のある
事を仕事にして、やっていこうと思うよ。自分から発せようとするメッセージがある
以上、その表現を時に映像だったり、音楽だったり、洋服を作ることだったり、スケー
トだったりと、何かしら作り出していく事に従事したいね。それに俺はスケーターっ
ていう生き方しかできないだろうしね。13歳でスケートに出会ってから、スケートし
ている時に1番自由を感じてここまで続けてきた。その自由の意味もスケートによって
教わった。人の自由も奪わない、俺の自由も奪われたくない。自由を掲げる以上、他
人と共存し、社会の中を笑顔で生きようと努力する人間でいたい。ずっとストリート
スケートを続けて、色んな場所を旅して、知らないことを知って、地元に帰ってそれ
を糧に生きていく。いつかは地元にパークを建設して子供達に社会のルールやマナー、
協力や協調という俺がスケートで教わった最も大切なことを伝えられる人間になりた
いし、そういう動きに自分の人生を費やしたい。使えきれない大金より大事なものが
人生には沢山あると俺は信じているんだ。他人との優劣を気にすることより、他人と
の協調を考える方がよほど難しいことで意義があるってね。笑顔でいる時間が長けれ
ば長いほど人生は豊かで最高なものになるよ。俺はマジでそう信じてる。俺は本当に
そう信じているからスケートし続けるよ。これからもね。